2013年7月6日土曜日

幸せって一体?


                                                                                        Measuring time / aussiegall

幸せの計り方は人それぞれ?


最近、経済が落ち込んでいたりなどの色々な要素があり「私って本当についてないんです」と聞くことがある。自分が波に乗っている時は、謙虚に人前で話さない方がいい…という不思議な日本の文化の影響もあるのかもしれない。ただ、日本人と話すと、圧倒的に「すごくラッキーなんです」という人より「いやぁ〜、自分はちょっと」という人の方が多いように感じる。 

最近、ダウンタウンを歩いていると、ホームレスのおじさんに話しかけられることがあった。はじめは "Do you have any change?" というフレーズから始まった会話だったのだが、犬をつれてなにやら楽しげにしているこのおじさんに興味を持ってしまった。


その後、自分はどこから来たのか、自分の犬のことなどの会話に進展し、結局20分ほど話し込んでしまった。このおじさんとの会話で1番印象に残っているのが、「幸せ」についての彼の見解だった。 

どう見ても、毎日ちゃんとご飯を食べることはできていなさそうな彼だが、幸せについて話す時は、すごくウキウキしている様子で、「自分はとても幸せだ。こうやって、遠くの国から来た人と話すこともできるし、友達(ホームレスの仲間)もたくさんいる。それに、自分には最高の家族がいる」と彼の愛犬を指差した。 

強がりで言っていたのかもしれないが、彼が話しているのを見ていると、なんとなく本心から幸せだと思っているように感じた。

幸せそうなのに不幸?


彼に比べると、家もあり、ちゃんとした収入もあり、何か物が欲しいと思ったら、ある程度のものは購入できる人達が自分を不幸に感じているというのが少し不思議に感じてしまった。

このような人に不幸の理由を聞くと、あまり自分でもはっきり認識していないか、少し考えたあとに、仕事で嫌いな上司がいる、友達とギクシャクしている…などの理由が多かったりする。 

家がなかろうと、小さなことに幸せを感じ、自分を幸福な人間だと満面の笑みで言っている人をみると、幸せとは、自分の考え方で決まってくるものなのかな?と思ってしまう。よく言う、コップに半分入った水を「半分もある」と考えるか「半分しかない」と考えるかという話を思い出す。

幸せの法則


この間見たテッドトークで、人間の脳は、幸せな状態でいると、力を存分に発揮できるが、不幸な状態と感じていると、力が十分に発揮されないという話を聞いた。また、この話では、文化的な「幸せになるための順序の間違い」を指摘していた。

私たちの文化では、幸せを掴むために努力をしろと教えられる。つまり、頑張った先に幸せがあるということだ。この順序の最大の欠点は、いつまで経っても幸せになれないことである。

例えば、有名大学Aに入学することを目標とする。A大学に入るために努力を続け、大学に入学したとする。この時点で幸せは感じることができるが、今度は、この大学内で成績をあげて行くことが目標になる。

もちろん、勉強している間は「幸せに到達するため」の経緯でしかないので、幸せではない。 このサイクルを続けているうちは、目標を達成した時点で次の目標が生まれ、それを達成するまで幸せになれないので、結局いつまでたっても幸せではないということになってしまう。もちろん、この状態では脳も十分に力を発揮できないので、本当にネガティブなサイクルにはまってしまっている。

成功者は成功の法則に従っている


このサイクルと脳の関係の話を聞くと、なぜ成功者たちが成功したのか分かるような気がする。大成功をおさめている人というのは、決まって「仕事が好きでしょうがない」という言葉を言っている。ということは、仕事ができることに幸せを感じているのではないだろうか?仕事ができることに幸せを感じているから、十分に力が発揮できる。
まさにテッドトークで言っていたことそのままだと思う。 

どうせ一度しかない人生なら、小さな不幸に目を向けて生きていくより、ホームレスのおじさんのように、小さな幸せに常に目を向けて生きて行くよう心がけたい。


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