2013年9月11日水曜日

自分で考える力がつくアメリカ:なぜ今アメリカではゾンビ系のものが流行るのか?


                                                              The Walking Dead PC game banner / warriorwoman531



自分で考えることに慣れないと、まともな友達もできないアメリカ


アメリカに住んでいると、自分で考える、自分の意見を持つことが必要だと常々感じます。以前に比べると「考える」という習慣が身についてきたように感じていたのですが、まだまだ。。。ということを最近痛感しました。

ミーティングの後は毎回ハードにバーに飲みにいくという、オフ/オンの切り替えがすごく上手な社会学の大学教授とリサーチをしていた時の話です。最近はまっているテレビ番組の話から”Walking Dead" というゾンビの番組の話になりました。

病院で目を覚ました主人公が、ゾンビ化してしまった世界で、他の生存者と生き延びていくという話で、アメリカで爆発的に人気がある番組ものです。一時的に大学内でも「ゾンビごっこ」が流行ったくらい、今「ゾンビ」は人気が出ています。


さすが教授というか、ただのゾンビ話で終わるはずだったこの会話は、「どうして今ゾンビが流行るのか」という方向に発展していきました。少し酔っぱらっていた教授たちは、この現象を解き明かす。。と、ゾンビ現象について、社会学の視点から説明してくれました。


                                                                     Beer candles from Ghent (bises...) / Guy Renard 25



ゾンビ社会学:壊れた社会


社会学の観点から見ると、この現象は「現状に満足していない国民が、なんとか今の状況を変えたい」という思いから来ているのではないかと考えているようでした。アメリカは貧富の差がひどく(どこの国でもそうですが。。)、俗にいう「Top 1%」に入るためにはその家族に生まれるしかないという現状。

以前は、必死に働けばいつか大成功できる「アメリカンドリーム」などと言われていました。現在では大不景気に入ってしまったことで、新しいビジネスを始めることが困難になり、始めたところで大企業に潰されるというケースもあるようです。ニュースでは「Top 1%」が米でのお金を独占していると報じられ、貧乏な人はどれだけ働いても貧乏、という悲しい現実もよくメディアでは報じられます。こんな中、当然のごとく働く意欲すら失ってしまった人も多いようです。

教授たちによると、このような「どうしたら現状を打破できるかさえ分からない状況」が続いているから、「全てをぶち壊し、貧富の差や階級の差など全く関係なく、サバイバルのスキルだけが重要となるゾンビアポカリプスが人気がある」ということでした。

言われてみれば「確かにそうなのかも」と思いました。留学当初に比べ、就職先が減っていくなか、選べる職種が減っていき、不満を持ちながら仕事をしている人が多いと思います。最近は以前にも増してホームレスや、明らかに薬をやっている人も増えてきました。そんな人達がウロウロしていることに不安を感じ、裕福とは思えないような人でも月何万円も出して防犯システムを導入している人も増えています。防犯システムへの出費の結果、遊びにいくこともままならず、家にいても常に不安に感じている人も多いようです。

自己防衛ということで、家には銃を何丁か蓄えている人も多いようです。また、それに伴い銃犯罪や銃を使ってのアクシデントも増えてきています。そんな毎日が苦痛になってきた人達が「新しい改革を」と思う気持ちが「ゾンビトレンド」という形になっているというのは納得できるのではないでしょうか。



                                                                                           change / Sean MacEntee



毎日の食べ物も満足に買うことができない人が増えている昨今、この国に新しい改革が求められているのは間違いないでしょう。

これらの現代社会の改革を求める国民の思いが、全ての破壊となっているということですが、本当に起こってしまっては困るので「せめてテレビの中だけでも」ということなのでしょう。

私としては全くなにも考えずに「トレンド」として見ていたことも、教授たちからしたら「社会の傾向を計るための分量」。やはり、アメリカ人というのは「だってそういうものなんじゃないの?」というように、周囲に流される人が少ないように思います。

日本にいる時はそんなこと考えもしなかった自分

自分が「自分を持っていない」なんてことは、日本にいるときは考えたこともありませんでした。しかし、アメリカに住んでいると、簡単な会話でも周りから質問されたとき、意見を聞かれたときに全く答えが出てこない自分に気づきました。

アメリカと比べると、日本は疑問を持つことをあまり許してもらえない国なのではないかと思います。疑問を持つことを「屁理屈」などと、マイナスイメージと関連付けられ、「右向け右」がなんで右じゃないといけなかったのか?などの疑問は先生からも煙たがられます。勿論、その中でたくましく育っている人も沢山いるので、私が周りに流されながら生きていたという部分も大きいのは間違いありません。

しかし、私のような周りの人と共に歩きたい人は、群れることを良きとし、自由な発想がしにくい日本では「自分の考え」が持ちにくいのではないかと思います。

どんな小さなことに対しても「なぜなのか」という疑問を持つことは、人に仕えないで生きて行くためにもとても重要なことだと思います。(アメリカにいるとすごく感じます)疑問を持つことにより、誰も考えなかったようなオリジナルのアイデアを生み出すことできるのではないでしょうか。そんな意味でも、海外に一年くらい滞在して、自分の考えを構築してみるのもいいかもしれませんね。




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